ワシやタカなどの猛禽類の目の錐体細胞密度は人の10倍である。このことから人より1/10細かいところまで識別することができるため、高い空から地上のウサギ、ネズミなどを見つけることができると考えられる。
渓流魚には毛バリはこの程度にしか見えていないとすれば毛バリの細かいところに気を配ることはないと考える。
2.環境に適応する
なぜ渓流魚の視力が0.1程度で、人は1.0程度なのか。それは生物は環境に適応するからである。
人の視力がいいのは、遠くが見えることが生命の存続に必須だからである。
人は遠くが見通せる大気中に生息する。遠くから、それが天敵であるライオンか獲物のウシかを見通せなければ生きていくことはできない。このため遠くがはっきり見える視力が備わっている。
現代では天敵はいない(会社にいるかもしれないが)、エサはスーパーにあるので、私たちには生存のためにいい視力は必要ない。
現代の人の環境に適応している目は軽い近視であるが、話がそれるのでやめる。
では渓流魚の水中環境はどうか。まず地上に比べて暗い。そして出水ですぐ濁る。さらに渓流魚の移動距離はせいぜい数mである。
そのような環境で人のように遠くが見通せるいい視力はそもそも必要ない。細かいところが識別できなくてもエサらしきものが識別できればそれで十分である。
その代りに暗く濁る環境に適応するために、視力以外の側線感覚や嗅覚が発達していて、濁った中でもエサを探すことができる。
渓流魚の目は頭の横に、さらに身体の外にある(頭から出ている)。これにより270度の視野があり、天敵の鳥などの動くものを感知するレーダーの役割をしている。
環境に適応すると考えれば渓流魚がボゥとしか見えないのは必要ないからと言うことができる。
3.渓流魚の色覚
毛バリの色も関係しないと思う。よく毛バリの色を変えたら釣れたと言うことを聞くが、それはたまたまだったかもしれない。
毛バリの流れ方、魚の食い気、魚のイライラ感(こんなのがあるかわからないが)が違って食ったかもしれないからだ、
色によって違いがあるという場合には、同じサイズで同じ形の毛バリの、色だけを変えたら、そこからその毛バリで「釣れ続け」、元の毛バリに変えたら釣れなくなった
ことがあれば色の違いかもしれないが、私にはそういう経験がない。
魚が毛バリをボゥとしか見えないのに、色の違いで釣果に差があるとは思えない。
夏のイワナには黒い毛バリが効果的と言われる。夏は陸生昆虫のアリなどが流れてくるので、黒がいいというが、私はコントラストがはっきりするので見つけやすいからではないかと思う。
明るい空に黒っぽい毛バリはコントラストがいい。そう考えれば夏に限らず黒っぽい毛バリは見つけやすいので、シーズンに関係なく効果的と考えている。バーコードステルスもこの理由からである。
渓流魚が色をどのように見ているかは科学が進んでもわからない。ペットの犬やネコがどのように色が見えているかわからないのにましてや魚である。
人は赤、緑、青の三色覚であり、網膜にはこれらの色を感覚する錐体細胞がある。
渓流魚にも錐体細胞があるので色は感覚できるのだろうと考えられている。しかし、渓流魚は人には見えない紫外線を色として感覚できる四色覚である。
四色覚の見え方を三色覚の人が想像することもできない。そもそも人でも自分に見える「赤」を他人も同じ「赤」として見ていることもわからないのだから。
まさかと思うかもしれないが色の感覚は個人ごとに違う。ましてや四色覚の異種生物の渓流魚の色の見え方は想像外である。
私の経験上、色による違いはないが結論である。ずっと以前、それを確かめるために、胴もハックルも金ラメで巻いた「小林幸子毛バリ」をつくったが、同じように釣れている。毛バリはなんでもいいと強く思った経験である。
4.毛バリを学習する機会がない
1〜3までは渓流魚の視力や色覚からの考えである。渓流魚の習性からみても毛バリは何でもいいと考える。
まず、自然渓流の魚は毛バリを見るのは生涯一度である。リリースされなければそれまでである。
もちろん、リリースされたり、食いそこない、合わせそこないを経験する魚がいるが、基本的に毛バリを偽物と学習する機会がない。このため、毛バリを偽物と思わず、今、食っている餌と同じサイズであればくわえる。
学習する機会がないということは素材にも違和感を持たない。自己融着テープのゴムで巻いても、これはゴムじゃないか! 日本製か?などと思わない。当たり前だけれど。つまり素材はなんでもいいと考える。
ところがC&R区間や管理釣り場では、釣られてリリースされることを繰り返しているので、魚は毛バリを学習する。すぐに偽物ということを見破り、ホンマモンを出さんかいと思っている(まさか)。
こういうところでは毛バリのサイズ、色、形は関係する。素材はどうかわからない。
渓流ではそれぞれにテリトリーがある。渓流の流れは速い。あっという間にテリトリーを流れ去る。その都度、これは本物、偽物など区別する余裕はない。
それらしければ、くわえ(正確には吸い込み)、一旦、くわえたあと違えば吐き出す。
渓流魚の胃には餌だけでなく木クズなどが入っていることがあるが、おそらく餌と思って飲み込んでしまったものだろう。
そういう習性の渓流魚に形、色など細かいところまでこだわった毛バリは必要ない。テキトーな毛バリでいいと考える。
5.無数の自信毛バリ
キャリアを積むとそれぞれ自信毛バリができる。この毛バリなら釣れる自信がある。自信毛バリは100人いれば100ある。
つまり、100の自信毛バリがあるということは正解がないことでもある。
言い換えれば、どんな毛バリでも釣れることを示すものである。絶対に釣れる毛バリはないし、絶対に釣れない毛バリもない。
6.フライの毛バリとテンカラ毛バリ
私はフライフィッシングをしないので、しないものが軽々にフライの毛バリについて言うことはできない。
同じように渓流魚を毛バリで釣る釣りであるが違いがあるように思う。
それは「この毛バリで釣れる魚を釣る」のがテンカラ、「その魚が釣れる毛バリを選択する」のがフライであるように思う。
フライは長い歴史と研究をとおして、毛バリについて理論化されたすばらしい釣りであるが、テンカラとは毛バリについての方向性が異なると考える。
7.まとめ
テンカラの毛バリについて私の考えを書いたが、これは私の考えであり、正しいかはわからない。
ただ毛バリはこうでなければならないとか、こうでなければ釣れないという「must」はテンカラを始める人にはハードルが高い。テキトーでいいんですは入門者には楽である。
だからと言って私は毛バリ巻きの楽しみを否定しない。もっと胴の色を変えれば釣れるのではないか、ハックルの素材を変えたらどうか。
今度の釣行を夢見ながら毛バリを巻くのは楽しいし、そこからすでにテンカラが始まっているからだ。
毛バリをどのように考えるかはその人の自由である。私のような考えもあることを伝えたいだけである。
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