真ヒルのチン事



こういう話はしたくない。結局、下ネタ話になるし、ウケを狙っているように思われるのもイヤである。が、渓流釣りをしているとこんなこともあるというチン事としてまた教訓として恥ずかしながらチン述することにする。


それは真夏の遠山川でのことだった。早朝の深い朝霧の下に沈んで遠山川は薄青く、また灰色とも見える色で流れている。眠りからさめない空はまだ鉛色におおわれているが、東の空はすでに明るい。朝霧は晴れの印、今日も暑くなる予感がする。

陽が川面に差しはじめる朝のうちだけが釣りになるだろうから、8時頃には上がって遅い朝メシをとって昼寝だ、などと思いながら朝ツユに濡れた草を踏みしだき川原に降りたった。朝の5時であった。


夏ともなれば、いかにゴアとはいえウエイダーでは暑い。この日は鮎用のセパレートタイツと鮎タビという足廻りであった。はじめこそ南アルプスの冷水でヒヤッとするものの、水は肌のぬくもりでほどよく暖められ、冷たさはやがて心地よさに変わっていった。


その日は予想に反して適度にアタリがある日であった。陽が出るまでが勝負と思っていたが、川面に陽が差しはじめ夏の太陽がジリジリと背を、首筋を焼きはじめてもアタリはとぎれることなく続いていた。空には浮かぶ雲もなくギラツク夏の光が降り注いでいる。


気がつくとすでに10時を廻っていた。予定なら今ごろは遅い朝メシのはずだが、ほどよくあるアマゴの出にいささかの眠さを感じながらも、竿を納めるタイミングがつかめないまま毛バリを振り続けていた。

真夏の太陽はすでに中天にさしかかっている。背中には汗がにじみ、額から吹き出た汗は帽子のツバに白いにじみを作り出していた。
 

22cmほどのアマゴを頭に数匹の釣果であったが、そんなことはどうでもよかった。十分、楽しめた。そろそろ上がりどきだろう。林道に上がり仲間のところに急いだ。仲間はといえば昼寝するもの、メシを食うものそれぞれに昼のひとときを過ごしていた。



イイダコの鉢巻き

ヤレヤレ、と安堵の気持ちと程良い疲れに満足してタイツを下げたときであった。その瞬間の驚きは何と表現したらいいだろうか、まさに時間が止まったような一瞬であった。パンツが真っ赤なのである。一部ではなく、前面が血だらけなのだ。

まったく何が起きているのかわからなかった。アッとパンツに手を入れると、陰毛の「ジャリッ」という感覚の中になま温かいヌルッという手触りがあった。引き抜いた手の平は血のりで真っ赤であった。


一体、何が起こったか、この瞬間にはまったく理解できなかった。男にもあると噂される男の生理が始まったのか、身に覚えのない?悪い遊びの結末か、「男」の最後には赤い 玉がコロリと出ておしまいとなるそうだが、その玉が早くも出て破れたのか、と後になれば冗談めかせるが、その瞬間は頭が真っ白とはこのことである。


「しまったヒルだ、ヒルにやられた」とわかるまでにしばらく間があった。遠山にはヒルがいるとは聞いていたが、まさか。鮎タイツを脱ぎ捨てパンツを下げた。やっぱりヒルだ。満腹となったヒルはコロコロ丸まってタイツからころげ落ちた。「このヤロォ」と踏みつぶすと石の上に赤い血がジュッと拡がった。


ともかく、どこを吸われたのか、まだ他にないのか点検すべく真っ裸となって調べた。血はまだ流れている様子である。ともかく陰部についた血のりを流し吸われたところを確かめなくてはならない。腰まで水につかり陰部を洗いながすと、血糊は周囲の水をうっすら赤黄色に染めながら流れに乗っていった。

吸われたところは玉ではなく、茎のなかほど一カ所であった。ちょうど浮き出た静脈をわずかに外れて(男ならわかるよね)…、まだジュクジュクと血が流れている。


血が止まらないのだ。よく見ると傷口はスパッと切れた状態ではなく、ギザギザの星状に破けている。血が止まらないのはヒルは血を吸うとき血が固まらないように「ヒルディン」という物質を出す、とある本で読んだことがある。まさかそれが現実になるとは…。


ギュッと指で押さえてみても一向に止まる気配がない。もっとも心配したのはこんなことして、もしもムクムクとセガレが大きくなったら傷口は更に拡がるんではないかということである。しかし、そこはよくしたものヤッパリ事がことだけにその事態にはいたらなかったのである。

仕方がない。こうなったらパンツを裂いて巻き付ける以外ない。破いたパンツで傷口を固くしばった。それでも鉢巻きには血が滲んできた。上からみると、いかにも海藻の中のイイダコが鉢巻きしたような姿である。我ながらおかしいような情けないような。
 


ヒルにナメられたくなかった

なにせ真っ昼間に真っ裸になって陰部をいじっているのだから、恥ずかしくて隠れてしたつもりだか、運悪く橋の上から仲間の一人に見られていたようだ。


「オイオイ、先生が真っ裸であそこをいじっていたゾ」


「えェ? まさか、先生が…」


「そんな人とは知らなかったなぁ。付き合い方をかんがえなきゃいかんゾナモシ」


と、噂になっていたらしい。鉢巻きイイダコの上にスボンをはいて何気ない様子で仲間のところに戻ったが私を見る目つきがおかしいのだ。変質者でも見る目つきである。


仲間の一人が「何かあったの」と声を掛けてきたことから事態はすでに知られていることがわかったので正直に話した。爆笑、にやにや、同情いりまじった時間が流れた。血が止まらないことを言うとタバコの葉が利くという。さっそくタバコを貰ってバンドエイドに包んでクルリと巻いた。これで血も止まるだろう。タバコはダンヒルだったというのは冗談だけど。


ヒルに吸われたとき、ヒルがまだ吸い付いているようなら、タバコの火を押しつければポロリと落ちるという。無理にはがそうとすると傷口が大きくなるそうである。血止めにはタバコがいいと言うのはタバコに含まれるニコチンが血管を収縮させる働きによるのではなかろうか。昔からの知恵がここで役だった。

さて、その夜静かにバンドエイドをはがすと傷口はすっかりふさがり、小さなカサブタとなっていた。1週間もたたずに跡形もなく消えていき、真昼のチン事も一件落着となった。


それにしても一体、どこから入ったのだろうか。チン事に気をとられてその時は気づかなかったが、この日もう1カ所吸われていた。左足くるぶしの上、鮎タビとタイツの境目である。ここは今でも丸い茶色の傷となって残っている。


おそらく通りかかったとき、葉裏にいたヒルの何匹かがここにとりついたのであろう。何匹かは振り落とされたが、2匹がタイツと鮎タビの隙間から潜り込みに成功し、うち1匹は早々に足首に吸い付いたのだろう。

ところが1匹はさらにオイシイところを求めてヒルヒルとはい上がった先に柔らかいところがあったので、ここぞと吸い付いたに違いない。この間、吸われている痛みも、這っている感覚も全然なかった。


ヒルは暗くてジトッとしてしかも柔らかいところを好むという。たしかにあそこは暗い。念入りに暗い。そして柔らかい。夏のムレたタイツの中ではじっとりと湿って柔らかい。

ときどき固くなることなどヒルは知るよしもなく吸い続けたに違いない。柔らかいと思われ、ナメられたことで私の自尊心は傷つけられたが、ナメるならいっそのことヒルではなく、もっと別なものにナメてほしかった…。


ヒルというと田圃の中にいるヒルを思い浮かべる。私たちの小さい頃は田圃の中に素足で入るとふくらはぎや足首にくっついてきたものである。機械化の進んだ今ではそんなこともなくなってしまっただろう。


山にもヒルがいる。中には20cmもあって腹がダイダイ色の不気味な奴もいるが、釣り人が吸われるのは2cmあるかなしかの山ヒルである。全然いない渓とびっしりという渓がある。岐阜県の奧、ひるがの高原も本当は蛭ヶ野と書くところからみると、昔はヒルが多かった、「ヒルがのぉ、おって」という土地ではなかったかと思う。


岩の隙間や葉裏に首を上げながらユラユラしている姿は不気味である。振動を感知して動物が通るとポトッと落ちるらしい。梅雨から禁漁期までが活動シーズンである。

遠山川でも秋のアケビの季節、「ワーイ、アケビだ」と、うかつにツルを引こうものなら上からパラパラと落ちてくるから要注意である。このあたりではブッシュに入ったら体についていないかお互いの確認は欠かせない。


ヘビ、ヒル、アブ。アマゴやイワナたちの三大守護神である。出会いたくないが避けても通れない。本格的なヒルの季節を前にチン事の再来だけは願い下げにしてほしいものである。