寒い夜だったが、目覚めはよかった。朝食はクスクスにナッツを入れ、お湯をかけたもので簡単に済ます。ここでトロイたちともお別れである。午前中は昨日の夕マズメの小渓流の上流を釣るという。
アメリカの釣りと言えば、広大な草原を流れるフラットな流れでゆったりとフライを振るというイメージがあるが、当然、川には源流があり、源流の趣はどこの国でも変わらない。アメリカでもこんな小渓流の釣りを好む人も多いらしく、踏み後がしっかりついている。
ダニエルの話では今は乾季で、この1ヶ月まともな雨がないので減水して魚が動かないという。この渓流もたしかに石についた平水線より10cmは低い。魚も動かない。ニジマスも小さい。虫は水面わずか上をワンワンと舞っているが、ライズする魚はほとんどいない。
ダニエルがこの草に触れるとかぶれるようなことを言う。さわるな、ケアと頻繁に言う。踏み後の脇のどこにでもある。触ったら水で流せという。ツラの皮も厚いので皮膚も強いと思うが、一応注意するにこしたことはない。
上流へ上がり、踏み後も薄くなるところから次第にアタリも頻繁になるが、いかんせん魚が小さい。「移動」で意見が一致する。昨日やった川のダム上に移動することにした。4人なのでコンパクトに行動できる。
川の水を飲んでいるからか腹具合が悪い。腹がゴロゴロである。トイレに入る。どこにも茶色な大きなトイレ小屋がある。ボットンである。深い穴が掘ってあって着地までに時間がかかる。トイレットペーパーはたくさん常備されているが水道はない。広い国土に水道を引くのは無理だろう。それにアメリカでは水は貴重なのだ。
入った場所は大岩ゴロゴロの淵の連続である。ツルツルの花崗岩なのでツルッと行きそうだ。落ちたらケガする。アメリカでケガしたら医療費などでとんでもないことになる。8月中旬、義弟が郡上で鮎釣り中、足を複雑骨折しただけに慎重である。渓相の割に、しかし魚は出ない。
やっとゴロゴロを抜けた。淵よりむしろ、瀬の方でアタリがある。しかし魚は濃くない。放流の一切ない天然繁殖だと川の規模に応じた適正数に保たれるからだろう。日本のいわゆる小場所からは一切アタリはない。ここはというところからはまずあるが、せいぜい1匹である。
そんな釣りがしばらく続いた。私もクリスも少し疲れた。ダニエルは元気である。場所を移動しようということになった。ダニエルのfavorite(お気に入り)の渓流へ。ここは周囲に木々が迫り、川の中のフキのような植物でいくつもの流れに分かれた日本で言えばイワナの渓相である。やはりブルックトラウトが出るらしい。
ここも渇水。小さいのしか出ない。3週間前に来たときには水もあっていい釣りができたのに「ゴメンナサイ」とダニエルが。こういうところが日本人らしいのだ。陽が長い。夕方7時半でもまだ釣りができるが、今日の宿泊先のキャビンに早く移動しよう。
森の中に大作りだが、がっしりしたキャビンがいくつも建っている。ベットにソファ、シャワー。すべてがそろっていて快適である。さっそくレストランへ。ここでもテンカラの話ばかり。席に着くなりテンカラの話。とくにクリスが熱いようだ。
レストランの壁にはセピア色の、この土地の昔の写真が。今から半世紀以上前だろう。男も女もみんなスリムで健康的である。普通の、つましい食事ならみなこのようなスタイルなのだ。
これらの写真に囲まれた客はみなデブばかり。ウエイターもウエイトレスも肥満体である。客は大盛りの食事をむさぼるように食べている。これらの写真
に囲まれながら、先祖が食えなかった分を今、取り返そうとでもしているかのようだ。アメリカは肥満で国が衰退するだろう。日本がその轍を踏まないようにしないと。
注文した品が来た。私とダニエルは小ステーキ。ブライアンは大。クリスはポークの大である。ひたすらテンカラの話が続く。当然、会話に入れない。ダニエルがゆっくり、簡単な英語で私に話してくれ、質問も向けてくれるので、なんとかついていける。
しかし、眠い。早くキャビンに戻って眠りたい。クリス、お願いだ。話を止めてくれ。早く食べてくれ。クリスは食べるかなと思うとフォークを置いて話に入る。お願いだ。眠い。結局、クリスは残したのだ。コラッ。
その夜はベットの上でぐっすりと眠った。それにしてもアメリカのシャワーのお湯と水の区別はなんとかならないだろうか。それとバスタブの止水栓も。日本のようにゴムでふたをすれば簡単だと思うのだが。何ごとも
頑丈なのはいいが、大作りであり、ちょっと考えればいいと思うのだが。
その(6)につづく |