10月29日、30日と奥多摩の東京トラウトカントリーで第3回テンカラファンの集いがありました。過去2回、人寄せパンダで出ています。過労で目の下にクマができているのにゲストで行ったから人寄せパンダではありません。そんなことわかってるって。
今年はもっと強力な人寄せゲストが集まりました。瀬畑さん、下田さん、榊原さん、支配人の堀江さんと、トラウトカントリーの師範代の吉田さん、それとコーディネーターの倉上さんです。
思えばこれだけのゲストが集まるのは最後かもしれません。いつ誰が欠けてもおかしくありません。なぜって1名を除いて年金受給資格者ですから。よって年金テンカラゲストの集まりとした方がよかったかもしれません。
参加者がブログで詳細に書いているので、私は名人との出会いを少し。
瀬畑さんとは今から26年前になります。26年前と言ったら参加者の中にはオシメをしていた人もいるでしょう。NHKの当時、視聴率が20%を超えていた超人気番組「ウルトラアイ」に出演し、テンカラの実験をもとにアマゴが毛バリをくわえている時間は0.2秒を放送しました。
これに対し、当時の廣済堂の雑誌『フィッシング』が「ヤマメはゆっくり合わせたい」という瀬畑さんの記事を載せ、それならこの際、一度議論したらどうという
わけでご対面となったわけです。お互い若く瀬畑さんはヒゲもなく、頭は真っ黒で髪もフサフサでした。私の天頂もクログロ、ゴワゴワでした。
やがてそこに堀江さんが早合わせ論を引っ提げて乱入し、3人三つ巴の乱戦になったのです。まぁ議論沸騰というわけです。つまり、今、若い方やテンカラを始めた方が疑問を持つことを当時あぁでもない、こうでもないと言いあっていたのです。当時の堀江さんはテンカラ界のガイコツ男と自身が言うくらいに痩せていましたが今はテンカラ界の・・・止めときます。
大勢の名人と知り合う中で下田さんとも知り合いに。酒が好きで、テンカラ名人に酒飲みはいないというジンクスを裏切る人でした。やさ男というのでしょうか。
私が面倒みてあげたいと女がほっておかないのでしょうね。次から次に…止めときます。
下田さんはレベルラインには箱根を越させないと。今から20年近く前、レベルラインが徐々に出てきたのです。その普及活動委員会筆頭代表幹事長代理兼部長が私だったのです。テーパーラインの下田さんにとってみれば、スプールから引き出しただけのクリアなレベルラインなんて・・こんなものが名古屋から箱根を越えて関東に進出したら・・が箱根を越させないという言葉だったのです。
ところが箱根の山に穴をほったり、空を飛んだり、UFOが運んだりでテンカラ専用レベルラインが出るようになるとあっさり箱根を越えて、今では関東平野の隅々まで繁殖するようになったのです。
榊原さんとは1993年の名古屋のテンカラサミット1993で知り合いました。そこからもう19年になろうとしています。テンカラの鬼と言われていますが、鬼というのは当初、そういう意味ではなかったのですが・・・止めときます。
吉田毛鉤の吉田さんのようにテンカラ界の若手?が出てきてくれたので、テンカラの先行きの長い暗いトンネルに小さな光が見えた気がします。若い人にテンカラ界をグイグイ引っ張っていく人が出ないものかと思います。出でよ「カリスマテンカラマン」
名人がホテルに集まってワイワイやるのは企画できても、釣り場で実釣となると大変です。今回、それを企画した光る源氏倉上さんには頭がヒカリます。もとい下がります。
私は過去をなつかしむにはまだ10年早いと思っています。つねにローリングストーン。転石苔をはまず。皇潤飲んで、加山雄三のように生きたい。12/3には群馬の吾妻川のイベント、翌4日は川越のトラウトフェスタ。まだまだ頑張ります。
ナニ? まだ頑張る! お前みたいのがいるので若手が出ないのだ・・という声が。それもわかってますって。 |