またまた甲斐泣く

 

今年も甲斐さんが、遠島島流しのインドネシアから2週間の仮釈になったので開田高原で落ち合った。前日まで天気がよかったのに、落ち合う前の夜から雨となり、レインギアが脱げない止みまなく降る雨の一日目となってしまった。

いったい誰が悪いのか。山形の米沢以来、どうも原因は私の大雨男にあることがわかったが、よりによって仮釈中に威力を発揮してしまった。申し訳なしである。

一年の楽しみはこの2週間しかない。熱帯の四季のないインドネシアで渓流釣りなどあり得ない。アウトドアと言えばゴルフしかないところですごす抑留生活において、清冽な水と深い緑の渓流へのあこがれ、大好きなテンカラへの燃えるような、頭が狂うようなテンカラやりたい感は日本にいては想像できないものである。

「カメ探」のライブカメラから日本の今を知る。大井川の源流の赤石岳の季節ごとの写真を送ってきたこともある。日本は春だ、初夏が来た、赤石岳の雪も少なくなった、行きテー。

暇があれば毛バリを巻く。フライマンも顔負けのフライBOXの数とびっしりの毛バリ。これだけでテンカラへの熱情がわかる。拙ビデオの「テンカラ・ヒットビジョン」を擦り切れるほど見ているとのことで、繰り返し見た人の 世界No.1を自認するくらいよく見ている。

「ほら、あそこでヒットしたけれど、ヒットする前にちょっとポイントを外して打ってるけど、あれは何かわけがある?」

自分ですらまったく記憶も意識もないシーンのひとつ、ひとつを見ている。「毛バリ巻きの場面はプチビラMTおんたけでしょう。壁の木目でわかった」という具合である。

その夜は雨の中のバーベQである。テントが設営されているので濡れずにバーベQができる。飛騨牛がうまい。一枚づつ丁寧に焼いて、味わって食べなければ・・・と4人分の1/3は私が食べた。

酒が入ると牧野さんの「あんなこと、そんなこと、えぇ!! そんなことまで・・。回転30秒でアヘッ」のカミングアウトである。昨年の続きがさらにグレードアップして、大笑いの夜が更けていった。

甲斐さんのインドネシアの駐在員生活は想像を超えている。現地では社長なので運転手つきの車の送り迎え。運転手がボデーガードも兼ねるそうである。自分では絶対に車を運転しない。世界で一番交通事情が悪く、渋滞の激しいジャカルタで事故を起こせば解決は現地の人に任せるしかない。日本のようにはいかないようだ。

島耕作シリーズの弘兼憲史さんとインドネシアに向う飛行機の中(当然、ビジネスクラス)で偶然、隣になりインドネシアの物流について6時間話したことが、さっそくシリーズの中で載ったと言う話や、弘兼さんも酒に強いこともあって、以降、酒のおつきあいが続いているとか・・・。

駐在員の条件はまず酒に強いことであるようだ。イスラム教の国だが、世界一ゆるいイスラム教らしく抜け道はたくさんあるが、うまく立ち回らないと警察ざたになる話、警官の給料は安いのでワイロをとらないと生活できないとか、子だくさんでも娘がいれば家族は生活できる話。現地駐在員がハマる(ハメられる)話とか日本では想像もできないことばかりである。

それに胆力が必要だろう。なにせ港湾の仕事である。現地のヤクザがかかわる仕事でわたりあうには肝がなければできないだろう。そして言葉ができることである。 多民族なので英語はもとよりインドネシア語、マレー語ができないとダメなようだ。

港にガスで膨らんだ死体が浮かぶ。警察が来る。棒の先のキリのようなもので腹をブス。シューとガスが出て死体は港に沈み一件落着。どっちみち喧嘩だろう。多くの島からなり、多民族で人口が多いインドネシアで身元をつきとめることは不可能。これがもっとも手間のかからない解決法らしい。

そんな甲斐さんとの釣りの2日目は、やっと晴れたもののめざす御岳の源流は増水のため、近くで竿を出すことに。昨年もめざす源流で竿が出せず、今年もダメだったので無念の、はるばる来た甲斐泣くである。

前日の雨でやや高水であったが、水温があがった午後にはポチポチとイワナが顔を出したものの夕方6時をすぎると、6連チャンの入れ掛かりになり1年ぶりにテンカラの醍醐味を味わったのだった。

この日は、朝の9時から6時過ぎまで休みなしに釣りをしたので本当に疲れた。甲斐さんも疲れたようだ。そこは宿で私はバカ飯を食べ、他のメンバーは痛飲し、9時間ぐっすり眠ることで翌日にはすっかり疲れがとれた。

しかし、翌日の川はドライな高原の夏空の下だったが、なぜかウンスンで、早々に甲斐さんの音頭で解散となった。

甲斐さんはその足で大井川の最源流へ向った。人のほとんどいかない源流で酒とイワナの日々を過ごしたに違いない。大釣りして開田の甲斐泣くも、甲斐笑(解消)しただろう。