まむし毛バリ

 

   

                              

 

まむしは本土最強の毒蛇である。沖縄にはハブ親分がいるので大きな顔はできないが、なんたって本土では恐いものなしで、肩で風切ってまむしくねりをして歩く。自分に毒があるのを知っているのだろう。他のヘビならスゴスゴと隠れるように姿を消すところを「ヘン! 捕まえてみろってんだ。毒をかますぞ」とノッタリクッタリくねる姿はふてぶてしい。

 

写真のまむしは夏の石徹白川の河原にいた奴である。余りの暑さに水浴びにでも行こうとしていたようで、水辺に向かってノッタリとくねっていた。他のヘビのくねりはシュシュッとして小さいのに、まむしは大げさにヘアピンカーブのようにくねって進む。

 

「おい! どこへ行くんだ」と砂をかけたら、

 

「ウッセー。野郎やるか。掛かって来い」

 

と、突然トグロを巻いた。プッツンと切れたようだ。気の短い奴だ。第一、目つきが悪い。よく見ると目にはヤンキーの掛けるようなサングラスをしている。こいつにはかかわらない方がいいと私は一瞬たじろいだ。とっさに

 

「まぁまぁ、今日のところは赦してやるから」と言ったら、

 

「ケッ、世話焼かせるんじゃない」と言って(ような気がしただけだが)、またノッタリとくねってどこかに消えた。

 

「クヤシイ。尾鷲のタッ、竹、竹株さんを呼んでやる。竹株さんならお前なんかとっくに皮をむかれてるぞ」とまむしの消えたあたりに向かって言ってやった。ああ、すっきりした。

 

赤まむしドリンクはつい最近まで日本のお父さんの強い味方だった。夕方のプラットホームでグビッと一口飲んでは、減り具合を確かめつつ、ラベルのまむしの絵をじっと眺めながら、「頼むぞ」とつぶやくお父さんを見かけたものである。つい最近までと言うのは、24時間働くとか、ファイト一発とかの、この種のドリンクが巷にあふれ、その陰に隠れていささか存在が忘れられているように思うからである。

 

日本人はその毒ゆえにか、まむしに特別なパワーを感じるようだ。私が小学生の頃だから今から50年も前のことになるが、学校近くの道路ばたに、ときどきまむし屋が店を出していた。その場所はいろいろな大道商人が店を出すところで小学生にとってはワンダーランドである。

 

まむし屋はいくつかの金網にまむしを入れて、これが赤まむし、これが黒まむしと首根っこをつまんでは子供の前にヌッと差し出す。その都度、わぁ、キャーという歓声があがる。親に伝わることを計算に入れての子供相手のパフォーマンスである。売りものは乾燥させて粉末にしたまむしの粉である。

  

はるか昔、テレビで「私の特技は何でしょう」のような番組があった。もちろんモノクロテレビの時代である。それは北海道から来たお爺さんの特技であった。まむし捕り名人だったのだが、何とスタジオでまむしを掴んであっという間にビリビリと皮をむいて腹を裂き、卵を口に放り込んだのだ。

 

もうスタジオはキャーキャーという絶叫の嵐である。今ならテレビ局に抗議の電話が殺到して、編集局長の首も危うい内容である。そしてそのお爺さん曰く「歳は72歳です。私はこれで毎晩です」 その意味がわかったから中学生の頃だったと思う。まむしって凄いという記憶が残った。

 

大学に入るとき、おふくろが「お前は世が世なら菓子屋のせがれではない。徳川家のナンタラ‥‥で、育ちがいいゆえに病弱である。それゆえこれまで箸より重いものを持たせことはなかった」と言って、疲れたときに利くからと缶に入ったまむしの粉を持たせたくれた。

 

高価だったと思う。香ばしいというより生臭い味のする粉である。しばらくは真面目に飲んでいたが、田舎の高校生が東京に出て、新たなワンダーランドを知った頃からどうにかなってしまった。大学生にはとくに利いたようにも思えなかった。

 

根強いまむし信仰ゆえに、まむし毛バリにパワーを感じるようだ。まむし毛バリはテンカラの最強毛バリとして信奉者が多い。毛バリをジッと見つめて「頼むぞ」なんてつぶやいているテンカラ師がいたら、まむし毛バリと思って間違いない。あ! 念のためにまむし毛バリといってもまむしを丸ごとハリに刺してハックルを巻いたものではありません、まむしの皮を胴に巻いたものです。わかってる。あ、そう。

 

まむし毛バリで有名なのは郡上白鳥の釣具店の平田さんの毛バリである。1本1000円。おそらく日本で最も高価な毛バリだろう。さて、肝心の釣果の方であるが平田さん曰く、「手の込んだ毛バリだと人間はよく釣れる‥‥」ようなので、察しがつこうというものである。

 

まむし毛バリよりツチノコ毛バリの方がご利益があるかもしれない。ツチノコ。古くて新しい日本に残された最後のロマン。その皮で巻いたツチノコ毛バリ。

 

そもそもツチノコはいるのだろうか。私はその存在を信じたい一人である。あるテレビ番組でツチノコは1970年代にオーストラリアから輸入されたアオシタトカゲであるという説が紹介されていた。家庭で飼っていたトカゲを密かに逃がしたものというものである。

 

実際にこのトカゲが歩く姿は目撃談に共通する逆三角形の大きな頭、太い胴と短い尻尾、背中の縞模様といった形態から、スッズーと直進すること(足でチョコチョコ歩いている)、まばたきする、はては鳴くというところまでそっくりで、これを見せられると私はうつ向くしかない。

 

しかぁーーしである。その説では1970年代以前の目撃談はヤマカガシの誤認であるとあっさり片付けているのが気に入らない。では、仮にそうだったとして70年代以降、全国にある無数の目撃談の数ほどアオシタトカゲが密かに逃がされたというのであろうか。

 

古事記にも日本書記に載っているというツチノコである。ツチノコの語源であると思われる槌(つち)の形状、その寸法が語源と思われるゴハッスン(五寸、八寸)などの各地に伝わる無数にある呼び名をみてもそれがヤマカガシの誤認であるとはとても思えない。

 

私の昔からのテンカラ仲間でツチノコを見た人がいる。豊田市の足助に近い自宅の畑で母親と一緒に見たという。あれは絶対にツチノコだと。その人は信頼のおける人で、酒も呑まない。というと、酒呑みは信頼がおけないのか、とくってかかる人はいるがそういう意味ではなく酔ってなかったわけ。

 

私はその人はウソを言う人ではないので、本当だと思っている。現に、ツチノコは豊田市の近辺では、稲武町の城ケ山を守る会からは捕獲懸賞金として300万円のおたずねものとなったことがある。見た人がいたからに違いない。

 

かって、兵庫県千種町からは、な、なんと2億円の懸賞金がかかっていた。2億円というのは、いるはずないからかけた金額とも、それだけ価値があると町あげてのラブコールともとれるが、懸賞金ポスターのツチノコの絵はたとえ見つけても手が出そうもない恐ろしい代物であった。年末ジャンボ宝くじに外れた人は運だめしにぜひ千種町でツチノコを探したらどうだろうか。