加齢なる。 |
数年前にキムタクと北大路欣也の「華麗なる一族」のTV番組があった。番組を見ながら、華麗なる一族にはなれないが、とっくに「加齢なる一物(いちもつ)」になっていると思ったのだった。人間だれしも加齢とともに身体にさまざまなメスを入れることになる。自分のメス遍歴を振り返ってみた。
「生後3ヶ月で鼠径(そけい)ヘルニア」 いわゆる脱腸。オフクロの話ではおんぶすると激しく泣くので医師に見せたらヘルニア。この子はもう助からないと言われたそうだが、奇跡的に生き延びた。すぐ上の兄からダッチョ、ダッチョとからかわれたが、なんのことかわからず。子どもの頃は腹が出ているので鼠径(そけい)の手術痕に気がつかなかったが、腹がへこんでから魚の骨のような長いキズに気がつく。オフクロに言ったら、実はお前はね・・。オフクロは不死男(ふじお)と名前を変えようと役場に行ったそうだが、ダメだったそうだ(ウソ)。以来、運のみで生きてきた。
「17歳で大痔主 10日間入院」 昔の痔の手術なので入院も長かった。高校3年生で毛を剃られ、尻を見せるという恥ずかしさは体験したものでないとわからないだろう。それも若い看護婦が入れ替わりで見にくるのだ。この歳で体験すると恥ずかしいという気持ちはなくなって、逆に見せたいという変態的な心境になる(ウソ)。名前を伊保次(いぼじ)と変えようかと思った。今の手術は簡単らしい。
「30歳で椎間板ヘルニアで3週間入院」 歩くのもままならず、生まれた子どもも抱けない痛みでとうとう入院。仰向けになったベットで8キロのウエイトをつけて24時間牽引であった。めずらしいヘルニアだったようで、医者たちは背中ではなく腹を切って腰の手術をしたかったようだ。人体実験である。もちろん真面目に牽引して逃げるようにして退院した。
「32歳で扁桃腺切除で1週間」 先生「どこが悪いのですか?」 私「・・・・」 先生「わかりました。返答せんですね」 今の手術法は知らないが、そのときは扁桃腺を挟んでギリギリ・バチンと切除した。その音が今でも耳に残る。私は両方同時にやってしまったが、一つとったときに気を失った男がいたそうで、傷が回復してからもう片方をとるとのこと。待つ間の心境はいかばかりか。
「53歳、落石で腕の骨2本骨折、20針縫合 12日入院」 いやはやその痛かったこと。奇跡的に頭に当たらず生還した。血圧低下による失神寸前、脳内エンドルフィンで痛みを感じないなど貴重な体験をする。無数の石が落ちてくるときも怖かったが、家内に電話したとき「ナニ! 生きてたの。死ねばよかった」と言われたときの方が怖かった(ウソ)フェニックス(不死鳥)石垣と名前を変えようかと思った。
「54歳 腕のプレート抜去で4日間」 プレートはチタン製だそうで1本3万円とのこと。もちろん貰って来た。2本で6万円。金に困ったら売ろうと思う。看護師さんが前日にギブスを切った。手術のために、腕が毛深ければ剃らなければならないそうで、事前に確かめるのだそうだ。その目的を聞いたのは切った後である。毛深いかを確かめるなら、もう片方の腕を見ればわかるでしょう(オバカ)と若い看護師(婦)さんにやさしく言ってあげた。
「腰のすべり分離症で1週間」 かねてよりの腰痛が悪化。内視鏡下での手術。執刀医がみたことがないというグチャグチャの珍しい分離症だったそうである。骨を半分切除して、取った骨を椎間板に挟んで骨をつなげてしまい、2本のプレートで骨を固定する3時間余りの手術。
全身麻酔のとき、なんとか頑張ろうと思った。 名前は? 石垣です。家はどちらですか? 豊田市です。足助の方には行きますか? えぇ あすけにはときど・・10秒ともたなかったのではないか。スーッと気が遠くなるとき、まだ行ったことはないが、あの世に行く瞬間はこんな感じなのかと思う。そう思うと死ぬのも怖くない。ただし、それまで七転八倒するのはいやだが。
「下肢静脈瘤で日帰り」 30年も連れ添った下肢静脈瘤を抜き取る手術である。右の鼠径部を切って、そこから静脈をグリグリと引きぬく。以前は切開していたようだが、今は抜くようだ。さらに進化した手術法もあるらしい。トマトケチャップのスパゲティーのような静脈がとれたら しいが、さすがに先生は見せてくれなかった。日帰りなのはありがたい。
「冠状動脈で1泊2日」 人間犬で調べたら、心臓の冠状動脈の内部が狭窄しているとのことで、カテーテルを入れたら冠状動脈の形状に華麗なる一族だけにみられる変形があり、CTが変形を狭窄と判断したようで、なにも異常なし。ただし、気が小さいので心臓が小さいこと、それゆえ毛が生えていないこともわかった(ウソ)
だんだん本命に近づいているなと思うが、脳犬でも異常なしとのこと。長命の家系なので、このままだと長生きしてしまうかもしれない。あの人も逝ってしまった、この人も。テンカラ仲間を皆んな見送ってから逝くのかもしれないと思う師走の夜7時半である。
少し早いですがよいお年を。私はお歳を。
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