テンカラ依存症 |
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新年明けましておめでとうございます。
当地は2月から渓流解禁なので、あとひと月の辛抱である。今年は何人の人と出会いがあるだろうか。魚は釣れないが、人を釣るほうが得意な私は強力なテンカラウィルスを持っている。
握手をした人にはウィルスを少しばかり、毛バリを差し上げた人にはまずほとんど、手とり足とり教えた人には100%感染させ、その人は間違いなく発症する。
今、こうして振り返ると発症し、テンカラ病になった人、モゾモゾと病気が出てきた人、キャリアになった人などの顔が浮かぶ。もっとも、この病気だけは感染してヨカッタと感謝される不思議な病気である。それだけにワクチンは開発されていない。
あるドクターも病気が出てしまった一人である。毎年、足助「いろは釣り具店」主催のテンカラ会がある。ある年のことである。このドクター、かねがねテンカラをやりたかったが教えてもらう機会がなく、この際ゼヒ!という強い意欲で臨んできたそうで、参加者の中で目の輝きが一段と強い。
午前中は基本のレクチャー、午後は実釣である。よろしければご一緒しましょうとマンツーマンで段戸川へ入った。ポイントの見方、毛バリの流し方など濃密にレクチャーしたのであった。
結局、この日はドクターの毛バリにはアマゴは出るものの、1匹も掛けることができすに終るという入門者1日目のいつものパターンであったが、ドクターすっかり舞い上がってしまったのだ。
林道を歩きながら「私の医院は平日に休診日がない。これではいい釣りができないから、何とか平日の午後だけでも休診日をつくらなければ…云々」と真顔でいうのである。
オイオイ、モシモーシ、頭は大丈夫ですか? 急速にウィルスが脳まで達してしまったようだ。ドクターにウィルスを感染させてどうするんだ。
以後、完全に発症した彼はせっせと段戸川に通い、頻繁に釣果と疑問点とメールしてくる。でかいのをバラシたとか、37cmのアマゴのようなもの? を上げたとか、魚が出ないときの対策はいかに?などであり、発熱の程度と症状が手にとるようにわかるのである。
診察は大丈夫だろうか。患者の顔がアマゴが見えるとか、メスをもった右手が思わずキャスティング動作をしてしまって「先生、気は確かですか?」なんて看護師さんに言われてはしないかといささか心配である。
テンカラに限ったことではないが、誰しもその道にのめり込むと、常人からみれば中毒としか思えない常態を呈するようになる。アルコール中毒、ニコチン中毒、ヤクをくれーのヤク中とかである。
これらに中毒があるように最近になってテンカラにもテンカラ中毒があることが判明したのである(冗談ですよ、ジョーダン)。中毒は最近では依存症と呼ぶので正しくはテンカラ依存症である。
単なる依存を通り越して依存「症」になると立派な病気である。「飲まなきゃいいのに、吸わなきゃいいのに。意志が弱いんじゃないの」とアル中やニコチン中毒は意志の弱さと思われがちだが、なんと言っても「症」がつくと立派な病気だから意志の力だけではどうしょうもないのであり、この点はテンカラも同じである。
テンカラ依存症になるまでには依存→耐性→離脱症状をたどる。依存はテンカラが「心の支え」になっていることである。この仕事が終わればテンカラができるぞ。
耐性は「より強い刺激が欲しくなる」ことである。これまで週1回だったのが、腹痛だ、風邪ひいた、親戚に不幸があったとかの口実をつけて週3回いっちゃうとか。
離脱症状はいわゆる「禁断症状」で、これが出れば立派な中毒である。テンカラにいかないとイライラしたり、仕事が手につかなくなったり、夜中にアマゴのライズの夢を見て行けないつらさにうなされるなど。行けばイライラは収まり、寝付きはよくなるが、切れれば同じ症状の繰り返しである。
テンカラ中毒の診断は容易である。まず、アマゴやイワナが毛バリに飛びつくシーンが網膜に映っていることと、棒を持たせると意味もなくキャスティング動作を始めるからである。
もっとも他の中毒と違って周囲への影響が少ないのが救いである。テンカラいきたさに強盗を働くとか、オナゴを見てアマゴと間違えるなどの幻覚はおきないからである。
テンカラ中毒度の問診表を作成したのでぜひ試してほしい。なおジョーダンにつき診断の結果についてはまったくアテになりません。
人生は生まれてから死ぬまでの膨大な時間の暇つぶしである。暇のつぶし方にはそれぞれあろうが、テンカラ中毒にかかって、それで暇がつぶせるならこれほどの幸せはなかろうと、とっくに中毒になった濃密ウィルス保菌者の私は思うのである。
今シーズン、何人に感染させられるだろうか。
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