自分が酒に強いかなど子どもにはわからない。高校3年生の最後に、これで故郷を出て離ればなれになるからと中学時代の先生が呼んでくれて酒になった。生まれて初めて飲んだ酒だ。日本酒だった。ウッ、ツンと来る酒でうまいとも思わず酒ってこんなものだろうとバカバカ飲んだ。
しばらくして急に気分が悪くなり、たちまち先生の家の庭をゲロまみれにした。息があがり、頭が激しく痛い。気分が悪く、起きあがることができず家まで担がれて帰った。酒がどんなものかまったくわかっていなかった。
すでに高校3年生で大痔主だった。お尻はいそぎんちゃく状態で、痛くて痛くて受験勉強にも集中できない。結局、手術することになった。50年前の手術なので切って縫い合わせるという血まみれの手術だった。もっとも50年前の手術なので、今ではもっと簡単らしい。どうしようか迷っている人は勇気をもって手術した方がいいと思います。
なにより恥ずかしかったのは下の毛を全部剃ることだ(今はないと思います)。看護婦さん(当時は全員女性)がつまんで剃るのだ。そして尻を見せる。若い看護婦さんも来る。高校3年生である。こんなに恥ずかしいことはなかった。手術の後はパンツをはけないのでT字帯のようなものをつけて、その都度まくって見せる。10日間ぐらいの入院だった。
若くしてあんなに恥ずかしい経験をすると恥ずかしものはなくなって、今や、見たい?とオカシなことをするようになった(当然、ウソです)
退院を前にして先生の一言で命が救われたと思っている。「これからどうするの?」「大学に行きます」「そうか、でも、しばらく酒は飲んだらダメだよ。縫っているところが破れたら手の施しようがないからね」
バリバリの体育会系の学生寮に入った。入学して数日で3年生から「1年生全員、食堂に集まれ」との号令。伝統の歓迎会をするという。
1年生は横一列に正座してどんぶり1杯の焼酎を飲み干し、そのどんぶりを次の人に渡すというものだ。私の番になったとき事情を説明したら「しゃあないな、じゃぁいいわ」ということで飲まずに済んだ。
私以外は全員、食堂で野戦病院状態になった。あのときあの先生の一言がなかったら今があるかわからない。血まみれで死んでいたかもしれない。
自分は酒が飲めないとわかってからは部活動のコンパは苦痛以外の何物でもない。酒は少々の、少々は二升というバカ飲みする先輩たちの酒をかわすのに、トイレに入って出てこない、叩かれようが足蹴にされようが、この野郎と言われようがウーンと言って、死んだふりして倒れている知恵もついた。
就職したときである。飲めないのですと言ってもそんな身体をして飲めないことはないだろうと上司から無理やり飲まされた。苦しくて、苦しくて二軒目のスナックでオレンジジュースを頼んだところまでは記憶している。
その後、カウンターの丸椅子から仰向けに倒れたらしい。頭を打ったのか打たなかったのか気がついたら、床で介抱されていた。その後、激しく吐いた。さすがに上司もこいつはアブナイと思ったようで以降、無理強はしなくなった。
大学の講義の中でアルコールパッチテストを行い、代謝のメカニズムと自身のアルコールに対する体質について講義している。この時代になっても大学では一気飲みとかバトルという酒の無理強いが行われ、毎年命を落とす大学生が後をたたないからだ。
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