テンカラサミット2017 (1)サミットに至るまで |
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9・11 中部国際空港から成田まで1時間、成田からコロラド州のデンバー空港まで10時間である。機内は半袖では肌寒く、ブランケットで身体を包む。前席のモニターの映画を見続ける。「アメリカンスナイパー」「続・深夜食堂」「聖の青春」である。そのためだろうが目が熱く、まぶしい。いつものことだが今回も一睡もできなかった。 タラップから入国審査までの通路には厳しい目をしたインディアンの写真がこちらをみている。かってこの地がインディアンの地であったことを物語っている。 今日は9月11日。アメリカがナーバスになる日である。入国審査が厳しいことを予想したがすんなり入国である。自動入国審査システムが完備していた。日本語で入力し、プリントアウトを管理官に提出し、英語の短いやりとりで済む。これは前回の2015年にはなかった。 ダニエルと妻のマーガレットさんが待っていてくれた。マーガレットは両親が日本人の日系アメリカ人である。時差15時間。現地は昼の12時。日本は12日 の夜中の3時である。眠いというより身体全体が眠っている感覚である。 今回は9/16のエステスパークでのテンカラサミット2017に参加することが目的である。登録者がすでに250名を越え、スタッフや業者を入れて300名近くなるだろうとのことで、盛況が予想される。パタゴニア創設者のイヴォン ・シュイナードの講演もあるので、彼に会いたい、話を聞きたい人も多いだろう。 ダニエルはテンカラバンを購入していた。フォルクスワーゲンの中古車にTenkara USAのイラストを描 き、これで3週間にわたり、全米各地でテンカラキャラバンをして来たようだ。室内は広く、4人まで寝れるらしい。 今回でアメリカ訪問は7回目である。ニューヨーク、カリフォルニア、モンタナ、ユタ、そして3回のコロラドである。 招待されるのでしょう、としばしば言われる。そう思う人もいるだろうが、招かれて行くのではなく、自分が行きたいから行く。だからすべて自費である。 なぜ7回も。それは私には2つの明確な目的があるからである。 1つはダニエルの起業をサポートすること。私が行くことでダニエルのプラスになり、テンカラが正しく伝わることである。 2つ目はごく普通の一般庶民の生活と文化を体験し、アメリカのテンカラを理解することである。少々、長くなるが経緯である。
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ダニエルの起業 ダニエルがTenkara USAを起業したのが2009年2月、26歳のときである。あることからダニエルの起業を知り、HPを見た。 26歳の青年がテンカラで起業? そこには竿とともに、テンカラのことが紹介されていた。日本のフライフィッシングのようなことが書いてあるが、初めて見る写真のダニエルはどこか不安そうに私には見えた。テンカラ不毛のアメリカで26歳で起業するのか(驚) 日本でテンカラで起業してもまず成功は望めないだろうが、アメリカはフライフィッシングの人口が多いから、テンカラで起業すればあるいは成功するかもしれないとそのとき直感的に思った。 ちょうどその年、2009年5月、ニューヨーク州のキャッツキルでテンカラについて講演する機会があった。それを知ったダニエル夫妻がサンフランシスコからはるばるキャッツキルまで訪ねて来たのが最初の出会いである。 どんな男だろう。アメリカ人にありがちな自己主張の強い奴ならいやだなと思っていたが、会った瞬間、この男、いい奴だと直感した。人種は違っても共通する感覚である。 正直、彼はテンカラについて何も知らなかった。なぜテンカラ? 聞けばマーガレットさんの祖父母が山形にいて、山形の釣具店を訪ねたとき偶然テンカラを知ったという。これは日本のフライフィッシング? 以降、毛バリに関心をもち、わざわざ金沢の目細商店を訪ね日本の毛バリの知識を得ている。しかし当初は鮎の毛バリとテンカラの毛バリの違いもわからなかったようだ。 キャスティングを教えてほしい、釣り方は? 矢継ぎ早の質問である。私の知ることを話した。近くの細流で彼のキャスティングと釣り方を見た。まるでダメである。それは仕方ない。一度も生でテンカラを見たことがないのだから。 キャッツキルのキルはオランダの古語で、川という意味らしい。猫殺しではなく猫川である。ヨーロッパからの移民が最初にアメリカに着いてコミュニティーを造ったところで、そのため保守的な土地柄であるようだ。 キャッツキルのフライフィッシングセンター&ミュージアムの年一度のパーティに招かれたが、白人ばかりで、黒人やアジア系は一人としていない。背が高く、肌が白く、金髪で青い目が多い。北方系の民族の特徴である。ダニエルも心細そうだ。 キャッツキルでテンカラのデモをしたり、毛バリ巻きしたが、リールのない延べ竿の釣りはチープな釣りで、子どもの釣りと思われているのは薄々ながら知っていた。私の講演やデモへの反応も今イチで、毛バリ巻きに興味を示すものは少なかった。 それが今やテンカラは「Tenkara」として定着し、ますます数を増やし続け、アメリカのカリスマ、イヴォンが講演するまでになったのだ。 ダニエルに日本に来ることを薦めた。日本のテンカラを生で体験し、日本の文化、風土を知ることでテンカラを深く知ることができるし、多くの日本のテンカラマンと交流するなかで多様なテンカラがあることを知るだろう。 以来、毎年、日本に来ている。私の家にも何度も泊り、私の家内もすっかりダニエル夫妻のファンとなっている。家内との話の中で、折にふれダニエルの話が出る。 その間、私も毎年のように渡米し、日本の情報を伝え、アメリカのテンカラマンと交流するなかで、アメリカのテンカラの実態を知るように努めてきた。 あるときダニエルが日本の漢字の名前をつけてほしいという。「打仁得流」とつけた。流れに毛バリを打てば仁を得る。「テンカラを通して思いやりの心を得る」という意味である。そしてシャチハタでハンコを作ってやった。打仁得流は気に入ったようで、彼からのメールには打仁得流が使われることが多い。
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師匠を越える あるとき、ダニエルが私を越えたと思った瞬間があった。それはFishing Cafe「テンカラの足跡を訪ねて」で開田高原、冷川での撮影の折のことである。 https://www.youtube.com/watch?v=ZPCc5NSNFv0 ダニエルがアマゴをヒットするまでの構え、狙うポイント、ヒット、取り込みのすべてを見て、弟子が師匠を追い越した日と悟った。越されたことより弟子の成長 が喜ばしく、同時にもはやテンカラで教えることはないと思ったときであった。 なぜ私が海外までテンカラの普及をするかと言えば、テンカラは日本の文化と考えるからである。文化という言葉はこなれの悪い言葉であるが、江戸時代、あるいはもっと以前からの長い歴史のある釣りであり、これが正しく海外に伝わってほしいと思うからである。 現在のような玉石混交の情報社会では正しく伝わるとは限らない。いや、よほどの努力をしなければ玉ではなく石が伝わることの方が多いだろう。海外のSushiが日本の寿司とまるで違うように。 実際、海外ではテンカラを「テソカラ」と書く 人もいる。まがいもののテンカラをビジネスにする人も多い。一度も日本に来ないのに、日本のテンカラを語る人もいる。 もし、ダニエル以前に、そのような人がビジネスにしなくてよかったと心から思う。ダニエルの起業が遅ければ、およそテンカラとは言えないものがそう思われていたかもしれないからだ。 おいおいサミットについてアップするが、アメリカでのテンカラの普及にイヴォンの影響は大きい。 図はアメリカで「Tenkara」という言葉が検索された数の推移である。Google Trendsで検索できる。2009年から数が少しづつ伸び、2014年にピコンと跳ね上がっている。これはパタゴニアがシンプルフライフィッシングとしてテンカラセットを発売した年である。 あのパタゴニアがテンカラを! これにより一気に知名度があがり、以降、季節変動はあるものの、検索数は伸び続けている。 講演の中でイヴォンはテンカラを手放しで礼賛している。子どもの釣りの講習でもテンカラを教えているとのことである。「シンプルフライフィッシング」(地球丸)の中ではテンカラという言葉は一度だけしか使われていないので、テンカラに対して何かの意図があるのかと思っていたが、 マーケティングとして「シンプルフライフィッシング」を使っているものと思われた。 カリスマのイヴォンであるが、服装は質素で小柄なお爺さんにしか見えない。私は大柄なお爺さんだが。 続く
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