11月19日(日)は名古屋のサンプラザシーズンズでのテンカラ同窓会だった。
今回は2倍速でしゃべるので半分しか聞き取れない京都の藤本さんが主催したもので、ひょっとしてこれが最後になるかもしれないと、瀬畑さんなどを名古屋に集めて開いた同窓会である。藤本さんの知り合いを中心に内々に開いたものであるが、参加者は53名となった。
2009年に浜松でテンカラサミット2009を主催した。そのときはHPで告知したり、手紙を出したりして168名の参加、宿泊100名の大規模なものだった。
そのときのゲストは冨士、瀬畑、竹株、天野、堀江、倉上、榊原、下田というそれまでテンカラを牽引してきたメンバーだった。
あれから8年が経過し、堀江さんはすでに他界し、体調不良で参加できない人もいて今回は瀬畑、竹株、天野さんが中心の同窓会となった。
私は今年でテンカラ歴40年である。テンカラが好きで好きで、本当に好きである。ここまで飽きることなく続けることができたのは、これら先達たちのお陰で、先達とお付き合いをさせていただくことが私の知恵となり、血や骨となって今の私がある。
本業のかたわら、アマゴが毛バリをくわえる時間の測定などのテンカラの実験をしていて、それが今から32年前、NHKの当時視聴率20%の人気番組「ウルトラアイ」でアマゴが毛バリをくわえている時間は0.2秒として放送された。
それを見た瀬畑さんがアマゴ(ヤマメ)はそんなに速く離さないという経験をもとに、当時の釣り雑誌「フィッシング」が「ヤマメは遅く合わせたい」という記事を出した。今から31年前、瀬畑さんと私の対談がフィッシングの記事になった。これが瀬畑さんと知り合うキッカケである。
以降、冨士さん、竹株さん、天野さん、堀江さんなど著名な先達と知り合いになれた。当時はビデオテープのはしりの時代で、テンカラの映像も珍しい頃であった。
富士さんのビデオに出演したことをきっかけに、名人たちのビデオをつくりませんかと当時の釣りサンデーに持ちかけ、竹株・天野の「テンカラの達人パートT」、瀬畑・堀江の「テンカラの達人パートU」につながり、私はこれら名人の説明役をした。
同じテンカラと言えどもこんなにも違うのかと驚くばかりである。まさにテンカラはテン・カラー。Youtubeもない頃なのでビデオが唯一の映像である。
見た人からは、あまりのテンカラの違いに自分はどれを参考にすればいいのか、テンカラの教科書のようなものはできないのかというリクエストがあり、これに応えたのが「テンカラ先生の誰でもできるテンカラ入門」(1994年)である。
それからすでに20余年の月日がたった。VHSはDVDになり、やがてこれからはDLが主流になろうとしている。VHSの映像はすでに劣化し、登場人物もVHS同様に歳をとった。
同窓会はテンリュウの会長である塩爺の挨拶、瀬畑さんの話、竹株さんから渓語り(たにがたり:瀬畑さんの著書)の絶賛、天野さんがこの日、○○歳の誕生日というので誕生日ケーキの入刀、ではなかったローソク吹きなどである。
私を含めこの歳になるとローソクを吹いて、ゼーゼーハァハァ、立ちくらみすることはよくあるが、天野さん、めまいでケーキに顔をうずめることなく吹き消した。
シメの挨拶を私がさせてもらった。テンカラは世界に輸出できた唯一の日本伝統の釣りである。日本でテンカラができることは幸せで、テンカラの世界制覇を目指して頑張ろう、また元気で再会できることを。
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