腰痛のデパート(1) |
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私の腰痛の話で、しかも冗長なので興味のない人はパスしてください。腰痛の人には参考になることがあるかも。 筋肉が原因なら時間とともに修復されて痛みはなくなるが、2ヶ月たっても痛みは引かない。 |
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腰には体重の10倍の加重がかかると言われる。当時の体重70kgだから1回のジャンプで700kg(0.7トン)である。これを多い日で200回繰り返す。なんと140トンである。これを来る日も来る日も繰り返し、ろくなケアもしないのだから身体が壊れるのも無理はない。 早くも大学1年生で激しいギックリ腰をやった。朝、顔を洗い、腰を反らした瞬間にギグゥ・・。あわわァ。あまりの痛さに声が出ない。横にいた先輩に手まねで腰が痛いことを告げる。 「どうした?」 「ガキッチャがおかしい」 たちまち大勢集まり、わっさわっさと部屋へ運ばれる。痛みで動くことができないので往診に来てもらい痛み止めの注射でとりあえずの痛みをとる。3日間、トイレに行くにも這っていく始末である。 これが最初で、以降、何度もギックリ腰を繰り返すことになる。電車の中、吊り革につかまっていて電車がグラグラとしたことでギクッ。椅子に座っているとき名前を呼ばれたので、うん?と振り向いただけでギクッ。冷蔵庫を開けて冷気でクシャミした瞬間にギクッ。挙げればきりがない。 学生時代は「動く筋肉標本」と呼ばれる筋肉の鎧でカバーしていたが、筋肉が弱くなれば腰が痛くなるに違いないという予感はあった。 しかし競技スポーツに熱中すると将来、障害が出るかもしれないと思っても、それより明日の勝利をめざす。勝つためには痛みなど何だ、根性で頑張ればできるという時代である。 |
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脊椎分離とヘルニア 案の定、30歳を超えて最初に来たのが第4腰椎の脊椎分離症である。おそらく長い間のバレーボールが原因で疲労骨折したのだろう。それまで筋肉で固定していたので痛みが出なかったのだ。 骨折しているのだから腰椎が安定しない。次に来たのが椎間板ヘルニアである。第4−第5腰椎のヘルニア。レントゲンでヘルニアとわかる状態である。 |
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日本整形外科学会HPより |
あいちせぼね病院HPより |
ともかく痛みあり、それにもまして足が痺れる。私の場合は左右であるが、主としては左足である。臀部から太ももの裏側、足先まで痺れる。 痺れは痛みより始末が悪い。痛いのには慣れてしまうが痺れは休みなしだし、気をまぎらすことができない。 当時の車はマニュアルなので左足でクラッチを踏まなければならない。しかし左足があがらず、しかも感覚が鈍いのでチカラが入らない。4速まで踏むことができないのでセカンドで走行する。 寝返りのたびに痛みで目が覚めて熟睡できない。なにより生まれたばかりの子供を抱くことができないのが情けなかった。 とうとう3週間の入院である。頭を下にして24時間、8kgの錘で腰を牽引する。腰を牽引することで神経がヘルニアに当たるのを少しでも軽減して痛みを和らげるのが目的である。 しかし、私のは珍しいヘルニアのようで通常の手術は腰を切るけれど、あなたのは腹から切りたいと医者がいう。腹を切って腰を手術する? これは大変だ。完治しなかったが良くなったからと逃げるように退院する。 あるときギックリ腰が原因で腰が痛くて、身体が左に曲がったままで2ヶ月。帰省した折、オフクロに腰が痛いことを言うと「お灸だ」。 さすがに明治生まれの母親である。オフクロは背中にも足にもお灸のあとだらけである。それも1円玉はあるかというものまである。明治の女は強い。 不思議なことに腰のお灸で翌日にはまったく痛みがないのだ。あんなに傾いていた身体がまっすぐ立てる。何なんだ。お灸ってすごい。母親の愛が利いたわけではないが、私はこんな経験からお灸には信頼感をもっている。 もちろん、根本的な脊椎分離、ヘルニアの構造が治るわけではないのであくまで痛みをとるだけで、やがて腰は重症化することになる。 つづく |
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