腰痛のデパート(1

 

私の腰痛の話で、しかも冗長なので興味のない人はパスしてください。腰痛の人には参考になることがあるかも。

 腰痛ストレッチで痛める

腰痛で悩む人は多い。私は若い頃からずっと腰の痛みを抱えてきた。

犬や猫は腰が痛いと言わないから腰は痛くないのだろう。腰痛は直立二足歩行する人間の宿命である。腰は月(にくづき)の要。身体の要が腰である。
 
長い人生を生きてくるとあの日に戻れたらと思うことを多く経験する。もし神様が15の春に戻してやると言ったらどうするかは、人により分かれるだろう。

私はもう一度15歳に戻り、シンドイ人生をやり直すなど、まっぴら御免の方である。だが、もしできるならあの日に戻してほしい日がある。それは2017年の1月にである。

「名医の○○」という番組で腰痛を軽くするストレッチをやっていた。どれどれ、これで腰痛が軽くなるならとテレビを見ながら試したのがいけなかった。

立って両足の下にタオルをおき、両手でタオルを引きながらの前傾ストレッチである。軽く引いただけだが、右腰にグギィと激しい痛みが来たのだ。痛いぃぃ。しまった。

2009年に腰の骨に2本のボルトを入れる手術をして以来、強い痛みがなかったので腰のボルトのことはすっかり忘れてしまいストレッチした私の間違いである。

歩くこともできない痛みである。ともかく安静にして丸っと3日間、寝たきりすずめである。痛みが軽くなった後、手術した病院でMRIで詳しく調べてもらった。

筋肉が原因なら時間とともに修復されて痛みはなくなるが、2ヶ月たっても痛みは引かない。

2009年に入れた2本のボルトの周りにはすでに筋肉や神経がからみついているので、レントゲンやMRIでわかる原因ではないようで、処方は痛み止めと湿布である。つまり原因不明。

それ以来、常に腰が痛い。痛みが強いときは痛み止めと腰痛ベルトは欠かせない。寝ているときに痛みがないのは幸いである。

一番痛いのが前傾15度の歯磨き姿勢である。そう、この姿勢はやや前傾したテンカラのときの姿勢と同じである。この前傾が続くのがテンカラである。

テンカラをしている間、前傾を腹筋、背筋で固定しようとするので身体がコチコチになり、かばっている腹筋や背筋の一部が痛くなる。今日は右の腹筋、左の背筋などと日替わりである。

世の中には腰痛で何もできない人も多いことを思えば、痛いながらもテンカラができるのだから恵まれている。ぜいたくは言えない。
 
バレーボールに原因

腰痛は私のアキレス腱であった。この原因は若い頃のバレーボールにある。中学、高校、大学でバレーボールをやり、社会人のクラブチームで3年。都合13年間ひたすらバレーボールである。

高校では県でベスト4、大学では大学選手権ベスト8どまりであったが、パスとジャンプの競技と言われるバレーボールをずっと続けてきた影響は免れない。

とくに大学時代はひたすらバレーボールの練習に明け暮れた。週6日ハードな練習があり、1日の休みは高校生のバレーボールのコーチのアルバイトである。つまり、身体を休めることがなかった。

バレーボール選手の障害は肩、腰、膝である。大学2年生で右肩をやってしまった。腱鞘炎である。この痛みはひどかった。痛みで右腕を、内側にも外側にも回すことができない。ともかく痛くてシャツが脱げない、着れないのだ。冷や汗を流してシャツを着る始末である。

さまざまな治療をしたがよくならない。万事灸すとなり最後にたどりついたのがお灸である。一年後輩がお灸屋の息子で見よう見まねでお灸をしてくれた。

痛いところを中心に周囲を含めて8箇所に同時に火をつけるのだ。もちろん直火である。

「熱いぃぃぃ」

歯を食いしばる熱さである。これを連続して5回繰り返すのである。これを1週間続けると、さしもの肩の痛みも軽減して完全ではないが復帰することができた。灸すれば通ずである。お灸の痕(あと)は今もうっすら残っている。

今から50年以上前は、スポーツ中は水を飲むな、うさぎ跳びが足腰を鍛える、肩を冷やすななど、今ではしてはいけないことが当たり前のこととして行われていた。スポーツ科学の知見がまだなかったからである。

ケアという考えもなかった。バレーボールで肩や腰を酷使してもどのように回復させるか誰も知らない。練習が終われば適当に整理体操をするだけである。肩は消耗品、使えば使うほど消耗するという知識は最近のことである。

大学チームのレベルは高く、全国から優秀な選手が集まる。当時の私の身長180cmでもバレーボール選手では小柄である。このためジャンプ力を鍛えることで補うほかはない。

激しいジャンプトレーニングを繰り返した。その結果、ウエスト78cmなのに、脚の太ももがそれぞれ62cmという競輪選手のような脚になり、おかげで高く跳べるようになった。滞空時間が長くなり一瞬、空中に浮いている感覚があった。
 
健康より明日の勝利
 
そのぶんダメージも大きかった。バレーボールのスパイクはジャンプしながら野球のピッチングをするようなものである。肩と腰、着地したときに膝に強い負担がかかる。
 

 

腰には体重の10倍の加重がかかると言われる。当時の体重70kgだから1回のジャンプで700kg(0.7トン)である。これを多い日で200回繰り返す。なんと140トンである。これを来る日も来る日も繰り返し、ろくなケアもしないのだから身体が壊れるのも無理はない。

早くも大学1年生で激しいギックリ腰をやった。朝、顔を洗い、腰を反らした瞬間にギグゥ・・。あわわァ。あまりの痛さに声が出ない。横にいた先輩に手まねで腰が痛いことを告げる。

「どうした?」
「ガキッチャがおかしい」

たちまち大勢集まり、わっさわっさと部屋へ運ばれる。痛みで動くことができないので往診に来てもらい痛み止めの注射でとりあえずの痛みをとる。3日間、トイレに行くにも這っていく始末である。

これが最初で、以降、何度もギックリ腰を繰り返すことになる。電車の中、吊り革につかまっていて電車がグラグラとしたことでギクッ。椅子に座っているとき名前を呼ばれたので、うん?と振り向いただけでギクッ。冷蔵庫を開けて冷気でクシャミした瞬間にギクッ。挙げればきりがない。

学生時代は「動く筋肉標本」と呼ばれる筋肉の鎧でカバーしていたが、筋肉が弱くなれば腰が痛くなるに違いないという予感はあった。

しかし競技スポーツに熱中すると将来、障害が出るかもしれないと思っても、それより明日の勝利をめざす。勝つためには痛みなど何だ、根性で頑張ればできるという時代である。

 脊椎分離とヘルニア

案の定、30歳を超えて最初に来たのが第4腰椎の脊椎分離症である。おそらく長い間のバレーボールが原因で疲労骨折したのだろう。それまで筋肉で固定していたので痛みが出なかったのだ。

骨折しているのだから腰椎が安定しない。次に来たのが椎間板ヘルニアである。第4−第5腰椎のヘルニア。レントゲンでヘルニアとわかる状態である。

 
 

日本整形外科学会HPより
 
 

 

あいちせぼね病院HPより

ともかく痛みあり、それにもまして足が痺れる。私の場合は左右であるが、主としては左足である。臀部から太ももの裏側、足先まで痺れる。

痺れは痛みより始末が悪い。痛いのには慣れてしまうが痺れは休みなしだし、気をまぎらすことができない。

当時の車はマニュアルなので左足でクラッチを踏まなければならない。しかし左足があがらず、しかも感覚が鈍いのでチカラが入らない。4速まで踏むことができないのでセカンドで走行する。

寝返りのたびに痛みで目が覚めて熟睡できない。なにより生まれたばかりの子供を抱くことができないのが情けなかった。

とうとう3週間の入院である。頭を下にして24時間、8kgの錘で腰を牽引する。腰を牽引することで神経がヘルニアに当たるのを少しでも軽減して痛みを和らげるのが目的である。

しかし、私のは珍しいヘルニアのようで通常の手術は腰を切るけれど、あなたのは腹から切りたいと医者がいう。腹を切って腰を手術する? これは大変だ。完治しなかったが良くなったからと逃げるように退院する。

あるときギックリ腰が原因で腰が痛くて、身体が左に曲がったままで2ヶ月。帰省した折、オフクロに腰が痛いことを言うと「お灸だ」。

さすがに明治生まれの母親である。オフクロは背中にも足にもお灸のあとだらけである。それも1円玉はあるかというものまである。明治の女は強い。

不思議なことに腰のお灸で翌日にはまったく痛みがないのだ。あんなに傾いていた身体がまっすぐ立てる。何なんだ。お灸ってすごい。母親の愛が利いたわけではないが、私はこんな経験からお灸には信頼感をもっている。

もちろん、根本的な脊椎分離、ヘルニアの構造が治るわけではないのであくまで痛みをとるだけで、やがて腰は重症化することになる。
 
つづく