なぜリリースするのか

 

2018719日(木)のBS-TBS「釣り百景」は日本古来からの釣り「テンカラ」−美しい魚を求め岐阜の渓を歩く−であった。

 

魚釣りの目的は様々で、何に重きを置くかは人により、また魚により異なる。私のテンカラの目的は魚と遊ぶためであり、それゆえ遊んでくれた魚に「遊んでくれてありがとう」という気持があるので番組でそのようなことを話している。

 

なんで釣った魚をリリースするんだ、魚は食われて成仏するんだなど、渓流魚を食料とみている人にはバカじゃないかと思ったに違いない。しかも、ありがとうなどと声をかけて。キザな。

 

すべての生物は子孫を次につなぐために生きている。人に食われるために生きているのではない。それだけに命を無駄に扱ってはいけないと思う。

 

回数は少ないが私は鮎、キス、クロダイもやるが、これらの釣りはすべておかず釣りである。鮎をリリースするなんてバカじゃないかと思う。キスなら釣れればすぐにクーラーにほうり込み、テンプラにするか、これは刺身になると今晩のおかずの算段である。釣りの目的の一つは釣った魚を食べる楽しみである。

 

餌釣りをしていた頃は渓流魚もキープだった。魚はうまいし、近所に配れば喜ばれる(と思っていたが、迷惑していたかも)。テンカラを始めてからもキープしていた。リリースしなければと思うようになったのは急に魚が釣れなくなるとともに、成魚放流が始まった頃からである。

 

成魚放流

 

成魚放流はいつから始まったのだろうか。岐阜県の漁業統計では1981年が成魚放流のもっとも古い記録とされているから、今から37年前である。 「成魚放流されたヤマメの釣獲特性、岐河環研報2010

 

この頃から始まり、各地で一般化したのは今から20年前くらいからである。放流された成魚を川の両岸から釣る渓流の釣堀が、季節の風物詩、渓流釣りとしてテレビで紹介されるようになり、それをどこの漁協でも行うようになった。

 

自然渓流の魚が減少したので、その頃から急増した釣り人のニーズをまかなうために漁協は成魚を放流して言葉は悪いがお茶を濁さざるを得なくなった。釣れないという釣り人の苦情や、少しでもわが漁協に来てもらうためには成魚放流で釣り人を呼ばざるを得ないのも理解できる。

 

釣った魚はリリースしなければと思うようになったのはこの頃からである。渓流の魚が減っている。持ち帰っていたら魚の減少に手を貸すことになる。リリースすることで産卵できる魚を残し、殖やしたい。リリースするのだからカエシのないバーブレスフックを使うことに決めたのが今から20年前である。

 

成魚放流した魚を釣堀状態で釣るのは、稚魚放流から育った魚、自然繁殖した魚を釣るという本来の渓流釣りとは異なるが、私はそれもいいと思っている。それを楽しみに一日を過ごす人もいるし、楽しみの幅を広げるので、こんなのは渓流釣りではない、などと否定しない。海上釣り堀で一日楽しく過ごすのと同じと思うからだ。

 

値段の高い成魚を放流して釣らせるかは漁協の判断である。上記報告では1000円の入漁料で採算があうのは9匹以下であるとしている。採算が合わないようであれば次第に減っていくだろう。

 

問題は成魚放流の魚を釣る感覚で自然渓流の魚を見てほしくないことだ。成魚放流の魚を釣る餌釣り師たちに何匹釣ったら満足するかという岐阜県調査では平均22匹であった。釣り堀の成魚放流では20匹は釣りたいことがわかる。これはあくまで平均なのでもっと釣りたいという人もたくさんいる。

 

もし、この感覚で自然渓流の魚を釣ればどうなるだろうか。たちまち釣り尽くされてしまうのは目に見えている。小さいのも数のうちである。掛ったものはゴミ以外は持ち帰るからだ。

 

だからリリースしなければならないのだ。もちろん渓流魚を食べたいという気持ちもよくわかる。お父さんの釣った魚を囲んだ食事は家族の絆を強くする。持ち帰るならせめて家族の分だけにしたいものだ。

 

近所におすそ分けもわかるが、決して喜ばれていないこともある。おすそ分けは日本のすばらしい文化であるが、こと渓流魚にはやめたいものだ。おすそ分けがなければ渓流魚はもっと残るはずである。

 

言うまでもないが、渓流魚の生産性は極めて低い。海の魚や、何百万匹も遡上する海産鮎、放流される鮎でまかなわれる鮎釣りは魚の数に比べて釣り人が持ち帰る数は少ない。しかし渓流魚の絶対数は各段に少ない。この渓流で釣れたという情報でワッと押し寄せればすぐに枯渇する。

 

稚魚放流魚が15cmに育つのは1

 

いやいや稚魚放流しているではないか、あんなに放流しているのだから魚はいるはずだと思うかもしれないが、イワナの場合、稚魚放流魚が15cmに育つ率は低く、わずか1である。自然繁殖で生まれたイワナが15cmに育つのは2で、さらに産卵に参加できるのはわずか0.1である 。アマゴもヤマメもおそらく大差ないだろう。「渓流魚の増やし方(水産庁)」

 

つまり、私たちが15cmは小さいと思っても、それは激しい生存競争を生き残った貴重な魚なのである。さらに産卵に参加できる魚となればキザと思われようが、よくぞ生き残った、元気な子どもを産めよと声をかけたくなるのはこのような理由からである。

 

海の魚の感覚で持ち帰ればたちまち枯渇する。小さいのはカラアゲにすればうまいなどもってのほかである。稚魚放流した魚が15cmになるのに1%とすると、1万匹放流しても15cmになるのはわずか100匹である。かりに10万匹放流しても1000匹しか残らない。稚魚は115円ぐらいなので10万匹の放流のために150万円かけてわずか1000匹である。

 

このようなことから稚魚放流した魚が15cmになるには、1匹はおおむね500円に相当すと計算されている「渓流魚の増やし方(水産庁)」。小さい15cmが500円である。カラアゲ用に50匹釣れば2.5万円分釣ったことになる。これが無券入川なら窃盗である。

 

いやいや自分が持ち帰るのは大した数ではない、持ち帰っても魚は減ることはないと思うかもしれないが激減するという実証調査がある。

 

平均の川幅約2.2mの500mの区間のイワナを13回にわたり毛バリで釣ってリリースし、死亡率や1回あたりの釣獲尾数(CPUE)を調査した 研究がある。「野生イワナの毛鉤釣りによるCatch-and-Release後のCPUEと生存尾数の変化、SUISANZOSHOKU (2001)

 

リリースすればほとんど死なない

 

これによればこの区間のイワナではリリースした場合の死亡率は2である。2%は他の調査とほぼ同じである。多く見積もって数%程度という。つまり、リリースすれば魚はほとんど死なないのである。しばしば餌釣り師が釣られた魚はリリースしても死ぬ、を口実に持ち帰るがそれは口実であり、適切にリリースすれば魚は死なない。

 

この調査では釣れた尾数から、もしリリースしなければ、この区間のイワナの35%が13人・回でいなくなると推測している。つまり、1人が13回釣りをするか、13人が1回釣りをするだけで35%がいなくなるのである。

 

1人が40回、あるいは40人が1回釣りをするだけでここの魚は100%釣り切られ絶滅することになる。仮にこの釣り場を穴場にしている2人が、それぞれ20回入るだけでゼロになる。5人で8回である。

 

自分はそんなに持ち帰っていないと思っていても、釣りをするのは1人ではない。他の釣り人も持ち帰るので急激に魚がいなくなる。釣れたという情報はSNSであっという間に拡散し、しかも消えることがない。

 

もはや秘密の渓流などないのだ。自分の秘密の渓流は誰もが知っている。あそこは魚がいなくなったと言われる場所はたくさんあるが、主な原因は持ち帰りである。

 

リリースを薦めるのは魚を減らさないためである。いくらリリースしてもキープする釣り人を助けるだけではないかと言われるが、そうは思わない。リリースする人が増えることは時間はかかるが全体として渓流魚への認識が変わり、次第に増えると考えるからである。

 

いやいや魚が減るのは渓流環境の悪化などが原因で、釣り人が持ち帰るのはしれたものだと言う人もいる。たしかに今年の夏の大水害や連日の酷暑からはそれも一因かもしれない。

 

しかし自然環境の変化は釣り人にはどうすることもできない。自然環境を理由にして、釣り人の持ち帰りを正当化するのはおかしいし、それでは魚は増えない。何が有効で何ができるのだろうか。当面、2つあると思う。

 

匹数制限する

 

「渓流魚の遺伝的多様性の増大・維持による経済効果の検証」(水産総合研究センター 中央水産研究所)の調査は栃木県西大芦漁協の渓流釣り師にさまざまなアンケートをしたものである。

 

調査(アンケート当日)によれば餌釣りが約7割であり、フライとテンカラで約3割である。匹数制限することについて賛成がおおむね5割、反対が3である。

 

匹数制限には絶対反対ではないことがわかる。もし、匹数制限するとすれば平均でおおむね10としている。これは同アンケートで10匹釣れば満足という、満足する匹数とほぼ一致している。

 

この調査をみると何がなんでも匹数制限に反対ではなく、ある程度の制限は必要と考えている人が半数はいて、10匹までなら満足すると考えることができる。もちろん、この漁協管内だけの結果かもしれないが、おおむね妥当な数ではないかと思う。

 

今のように無制限に持ち帰ることができるのは渓流魚のおかれている状況にあっていない。漁協は匹数制限を考える時期に来ていると思う。他人のビクを覗くことはできないが、匹数制限がルール化されれば相互の目があるので次第に定着すると考える。

 

テンカラなどの擬似餌釣りの普及

 

2つ目はテンカラ、フライ、ルアーなどの疑似餌釣りの普及である。上記アンケートでも匹数制限に賛成の人は、餌釣りで4割であるのに対し、疑似餌では7~8割である。そもそも餌釣りは食料確保が主たる目的である。魚を釣ることにおいて餌釣りにかなうものはない。

 

常食の川虫、グルメのイクラ、臭いのミミズをつけ、細いハリスとオモリで魚の口の前に運ぶのだから最強である。いかに魚を釣るかを目的に発展してきたのが餌釣りである。

 

一方、テンカラなどの疑似餌釣りは、最初から偽物の餌というハンディをつけて、魚と遊ぶのが目的である。遊びなのだから、遊び相手に遊んでくれてありがとうという言葉が自然と出る。これは餌釣りには絶対に理解できないだろう。私だって鮎やキスに遊んでくれてありがとうは言わない。

 

テンカラ、フライなどの人口を増やすことで渓流魚が減るのを食い止めることができると思う。これは私の確信である。自分の夢を口に出すのは恥ずかしいが、渓流釣りの半分をテンカラにしたい、これが私の夢である。テンカラを始めると釣果にこだわらなくなるが、これが遊びの釣りだということがわかるからだ。

 

遊びなので釣れなくても楽しい。偽物の毛バリを振るだけでたとえ釣れなくても楽しいのだ。釣るのが目的の餌釣りからは、釣れなくて何が面白いのかと思うだろうが、楽しいのである。

 

楽しいことが増えるのは豊かな人生を送る手段を増やすことになる。テンカラをやってよかったという人を1人でも増やしたい、それにより渓流魚を殖やすことにつながる。だからテンカラを普及させたいと思っている。