下戸でよかった。かな(1)

 

下戸の苦しみ

フィッシングショーの後の飲み会に参加した11名のうち、私だけノンアルである。私は下戸である。ゲコ、ゲコのカエルである。

実に弱い。先日、ウドンを食べたらなんだかおかしい。顔が赤く火照るし、心臓があおる。おかしいぞ。さては家内が毒でも入れたか。

つゆに酒でも入れたのかと家内に聞いたら、そのウドンには酒粕を練りこんであるのだそうだ。そのウドンで顔が赤くなるのだから、つくづく酒に弱いことを痛感する。

飲める人がうらやましい。

ある人からプチ新年会の後の、ほろ酔いのいい気分で打ったと思われるメールが来た。もちろん内容は酔ったものではないが、そのとき本人の気分がすこぶるいいことが文面からわかる。

ほろ酔いでメールが書ける、送れることに下戸の私は驚きである。ほろ酔いがほど酔いです、とギャグで返信した。ほろ酔いで留まれればいいが、今、流行りの一線を越えると大変なことになるらしい。

というのは、これまでの人生において一度としてほろ酔いを経験したことがない。だから、ほろ酔いってどんな気分? どんな状態?とほろ酔いの人に聞くのだが、ふわふわっとしてとか、雲をつかむようなあいまいな言葉しか返って来ない。

ほろ酔いから一線を越えない人は酒飲みで、自制が利かない人は酒に呑まれるので酒呑みである。

一線を越えると、やばいことになるらしいが、その前にふわふわのほろ酔いを体験してからの、自制がきかなくなった結末なので、下戸からすればそれは自業自得で、同情の余地はない。

私のように一滴も飲めない下戸にはビール1杯でほろ酔いを体験することなく、七転八倒の苦しみを味わう。二日酔いの苦しさは飲みすぎの顛末で同情に値しないが、下戸の苦しみはそれにも優る。

まさかと思うかもしれないが、まさかり担いだ金太郎なのだ。

たった1杯のビールで顔が「金時の火事見舞い」のように真っ赤になる。金時、つまり金太郎の顔は真っ赤である。その顔で火の燃えさかる火事場に行くのだから 、それくらい顔が真っ赤という例えである。もちろん顔だけでなく全身真っ赤である。

さらに心臓がドキドキと脈打つ。心拍数は120拍を越える。軽くランニングしている状態である。だから息がハァハァとあおる。 横になると枕に当てた耳からは脈がズギューン、ズギューンと鉄砲のように聞こえる。

頭が痛い。コメカミが割れるように痛くなる。気分が悪くなり、吐きそうである。トイレはどこだ? 飲む前に確認しておく。食べものの味がわからない。耳が遠くなり、声が割れるように聞こえる。

1杯のビールでこの状態が2時間続くのである。

もう、飲みたくない。早くこの場を逃れたい。こんな状態で誰が飲みたいものか。そんなとき、誰だ!飲めと強要する酒呑みは。俺の酒が飲めないか? 何を言うか、お前の酒じゃないだろう。ワリカンだ。 怒るぞ。

なんだ飲めないのか、フフッ。その目には飲めないものへの侮蔑と優越の光があることを私は見逃さない。だから酒呑みはいやなのだ。 なぜ人にすすめるのか。お返しにどうぞと注がれる、さしつさされつが酒呑みにはうれしいのだ。

早く食べろ。自分の前に料理を集めてチビリ、チビリ。早く終わらせてくれ。いつまで呑んでんだ。

どうです。酒呑みの人、下戸の苦しみがわかりましたか。わかるよりも、なんと下戸は気の毒なと、憐れみの目で見ているかもしれない。酒なくて何が人生かと思っているのだから。

これを読んだ下戸からは、よくぞ言ってくれたと感謝のメールが来るだろう。お礼は甘いものがいいな。

最近は私への酒の強要はなくなった。歳をとって年長ということもあるし、世の中が飲めなければ飲まないでいいと寛容になってきたからだ。アルコールハラスメント、アルハラもセクハラ同様に知られてきた。下戸にはいい時代になった。

もっともこれは大人の話であって、酒の知識がなく、酒に強いことが豪気と誤解している若者にはまだ多い。

あの一言で助かった

酒呑みに酒にまつわる様々なことがあるように、長い人生を生きてきた下戸の私にもある。 命に関わることが2つある。一つはあの一言で助かったことだ。

下ネタで恐縮であるが、高校3年生で大痔主になった。長崎の普賢岳、はたまた昭和新山の溶岩ドームのように飛び出た痔を大学に行く前に手術した。今から50年以上前の手術なので、陰毛から尻の毛まですべて剃るのである。 今は違うと思うが。

若い看護婦さんが摘まんでジョリジョリ。高校生にとってこんな恥ずかしいことはない。手術後も入れ替わり、立ち替わり尻を見せるという恥ずかしい1週間の入院である。血まみれの手術だった。

高校生でこんな恥ずかしい体験をすると世の中、恥ずかしいことがなくなる。今では見る?・・なんて。

退院のとき、先生からこれからどうする?と聞かれた。大学に行きます。「大学に行くと酒を飲むことがあるけれど、絶対に飲んではダメだよ。縫ったところが 裂けたら手のつけようがないからね」

入学してこのことをすぐ体験した。体育会系のガツンガツンの寮だった。3年生が新入生を集め、正座させ、ドンブリ一杯の焼酎を飲みほし、隣に渡すものである。

歓迎と称して、伝統という名のもとに上級生の威厳を知らしめる愚行、蛮行である。当時はこんなことがあたり前に行われていたのだ。

自分の番になり、手術の後で飲めないことを言った。しゃあない、お前はいいと免除されたが、飲まされた同級生たちは野線病院状態である。

先生のあの一言がなかったら血まみれになって死んだかもしれないと思うと、顔も名前も忘れた先生であるが、感謝しかない。

学生時代の下戸の苦労は無数にあるが、誰にもあることなので省く。

飲めないというのに

大学に勤めるようになった。歓迎会である。私は飲めないんです。そんな大きな身体して飲めないことはないだろう。うちの娘は高校生だけどいくらでも飲むよ。男なんだから。そんなやり取りが続く。当時は酒のやりとり 、下戸からすれば強要はあたり前のことだった。

下戸なので酒がうまかろうはずはない。上司のすすめだから、いやいやながら飲んだ。多分、ビールだったと思う。

「次、スナックに行こう」 まだ飲むのか。もう気分が悪い。早く帰りたい。

スナックでオレンジジュースを頼んだ。オレンジジュースが出たまでは憶えているが、その後の記憶がないのだ。気がつけばソファで横になっている。頭が痛い。

なぜ、ここに? どうやら、気を失ってスナックの丸椅子から、そのまま床に仰向けで倒れたらしい。ドスンという音で周囲が気がつき、大変だとソファに運ばれた ようだ。頭を打ったようで痛い。

不思議なことにまったく感覚がないのだ。丸椅子から仰向けに倒れたのだから、落ちた時点で気がつきそうなものだが。

その後、気分が悪くなり激しく吐いた。頭を打ったことで吐いたのではなかったのは幸いだった。打ちどころでは大変なことになっていただろう。

この一件があって以来、こいつに飲ませたら危ないと強要されることはなくなったが、それを知っている人はわずかで、酒の機会があるごとにそんな大きな身体して飲めないことないでしょ、言われつづけた。

その都度、ダメなんです、飲めないんですという時の情けなさとともに、すすめる人の目に光るあざけりと優越を見逃すことはなかった。

酒呑みの醜態を見るにつけ、飲まなければいられないこともあるのだろうと同情と憐憫でみるようになったが、 そんなことは下戸にもあるのだ。それを酒で紛らわそうというのは、その人の意志の弱さの裏返しあると下戸は思うのである。

こんなとき、つくづく下戸でよかった。かなと思うのである。

なぜ下戸と酒豪に分かれるかはその2で。