平成が終わるまであと一ヶ月余り。新元号は何だろうかと誰もが思う頃である。個人的には平らかにして成る平成がよかっだだけに、新元号に期待するものがある。
天空(てんくう)がいいなと思う。天空をテンカラと呼ぶのはテンカラファンだけであるが、故堀江渓愚さんもスズミからテンカラ竿「天空」を監修しているので喜ぶだろう。しかし、残念ながら大正のTと重なるので絶対にない。
平成の終わりにあたり、平成元年のテンカラはどうだったのか雑誌を探してみた。最前線渓流’89があった。平成元年3月5日発売のまさに30年前の雑誌である。
発行は週刊釣りサンデーである。釣りサンデーはその後2004年に解散して、現在は新釣りサンデーなので、旧釣りサンデーの時代である。
テンカラを科学するとして紀州の竹株さんとの対談が掲載されている。昔のことで、そう言えばそんなことがあったか程度で、話の内容も、どこで対談したかも記憶がない。
竹株さんと言っても知らない人がほとんどではないだろうか。昭和62年(1987年)の精鋭たちの渓流(週刊釣りサンデー)の表紙は紀州の渓での竹株さんのキャスティングである。
長さ3m、9:1のカチカチの竿でナイロン4号の8mの仕掛けを飛ばす達人である。現在ではラインはナイロンより比重のあるフロロカーボンが主流で、さらにフロロカーボンを振るための6:4調子の竿が中心である。
その真逆の9:1の短いカチカチの竿で、しかも軽いナイロン8mを振るフォームは自転車のペタルを手で回すように肩を前後に大きく動かすものであった。
なぜ毛バリが飛ぶのか、私も散々振らせてもらったがどうしてもヘナヘナに毛バリが落ちる。誰がやってもヘナヘナである。
そこで、なぜ飛ぶのか実際に紀州の渓流に筋電図やストロボカメラを持ち込んで彼のキャスティングを分析したことがあった。そのことについての対談である。
あれから30年。平成の30年の間にテンカラのタックルの進化はあったが、理論的なことは大きな変化がなかったように思う。
しかし確実にテンカラ人口は増えている。30年前にはここまでテンカラファンが増加することを想像することはできなかった。新元号の時代、テンカラはどうなるのだろうか。
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