人さらいが来るからね

 

2022年シーズンは雨にたたられ、増水とそれにともなう水温低下で魚の活性が低く、これまでの経験の中でこのような年は初めてだったように思う。

6月末に梅雨明けのような晴れが続いた。これはおかしいと思ったら案の定、梅雨明けを例年どおりの7月末に訂正した。

むしろ、その後に梅雨のような雨が続き、真夏の青空を見る日は少なく長雨で渓流も増水ぎみだった。

9月は例年、岐阜県石徹白と長野県の開田高原に通う。経験から2つの渓流とも水が煮詰まっ状態で活性する。

9/17の石徹白は水温16℃で煮詰まっていた。こればいい。案の定、魚の活性は高く9月も末とあって魚は少ないものの、まずまずの釣りができた。

ところが台風15号による大雨が追い打ちをかけた。山はそれまでの雨でたっぷり水を抱えていたので、雨は山に染み込まず、ずっと高水が続いた。それが9月末日まで続いた。

水温は低く魚の活性は低いままであった。なにより大雨は渓流の石垢をごっそり剥ぎ取ったため、それまでのヌルヌルの石が滑ることのない石になる、いわゆる白川状態になってしまった。

水がサラサラで硬い。こんなときはダメである。金魚鉢の水は半分替えろというが、全部替えてしまったようなものである。

出てくるのは小学生のようなイワナやアマゴである。水が高く、サラサラの日、小さいのしか釣れないとき、いつもオフクロの言葉を思い出す。

「ヒサオ、人さらいが来るからね。知らない人についてっちゃダメだよ。連れていかれるからね」

私が小学生の頃だから昭和20年代。戦後の混乱がまだ続いていて、食べるものもない物騒な頃である。

その頃は人さらいが多くいたようた。誘拐して身の代金をとるのではなく、子どもの人身売買である。

親にしてみれば心配だったと思う。今ならわが子がどこにいるがわかるツールがある。子どもにとってみれば道草も食えないので良し悪しであるが。

当時は子どもだらけである。我家は5人。これでも標準的な数である。そんな子どもがどこで遊んでいるか親にはわからない。

人さらいがいる時代には子どもが家に帰るまで親は心配だったに違いない。

増水してチビしか出ないとき、いつもオフクロの言葉を思い出す。「今日は水が高いから外に出ちゃだめだよ」

それなのに好奇心の強い子どもたちは外に出てしまう。知らない人(毛バリ)についていって帰ってこない。

「うちの子、帰ってこないけど、魚さらいにさらわれたんじゃないかね」

魚の親もこんな気持ちでいるだろうか。そんなことはないけれど、オフクロの言葉をいつも思い出す。

心配かけていたんだろうな。