しかし、渓流は下を向いて歩かなければならない。
ある講習会のできごとである。受講者が毛バリを木に掛けてしまった。木に掛けるのではないかと気にかけていたが、やはり木に掛けた。
どこに掛けたかわからなかったのでどこ?どこ? 一歩前に出たその瞬間、浮き石に乗ってしまった。しまったと思ういとまもなく、前のめりにクルッと転倒した。そのとき右手首を痛めた。
浮き石がコロンと。コロンだったので私もコロン。受け身をする暇もない。
これがつまずきなら、オットットとなる間に少しの余裕があり、受け身もできるが。
痛かった。勝手に手首捻挫だろうと思っていたが、あまりに痛いので整形外科に行ったら「1本折れて、1本ヒビが入ってます」
ヒビは日々よくなるでしょう。骨骨治してください。
ガーン、右手首じゃないかテンカラができない。
2週間だけギブスした。経過がいいとのことで2週間で外してもらい、一日おいてテンカラに行ってしまった。痛いけれどなんとかできて、私はやっぱりテンカラが好き
と改めて思う。
骨折は完治まで3ヶ月から半年はかかるようだ。安静にしている方が治りは早いかもしれないが、テンカラができないことは何より辛い。
この先どれくらい生きるのか老い先短いの中で、テンカラができないなんて。
相撲では「相撲のケガは相撲で治せ」らしい。
ならば「テンカラのケガはテンカラで治す」と理屈をつけて竿を振っている、
人生は順送りである。年をとると体力が衰えるのは仕方ない。テンカラに必要な体力であるバランスが悪くなる。これは実にあぶない。
若い頃、水に出ている石があれば向こう岸まで水に濡れずに渡れた体力はもはやない。
ひたすら浮き石を踏むな、つまずくな、飛ぶな、滑るな、と言い聞かせ、ケガをしないように慎重に下を向いて歩いている。
たとえ、遅いな、爺さんだなと思われてもケガをしないことが第一である。
そこで教訓
人生は上を向いて歩け。渓流は下を向いて歩け。
これが遺訓にならないようにしなければ。
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