人生は順送り

 

加山雄三の「親父バンド」

♫ 誰でもいつか年をとる 当たり前じゃないかそんなこと

私も当たり前のように歳をとった。75歳を越え後期高齢者。まもなく喜寿である。

近々、運転免許更新の認知症テストを受ける。

身体的な衰えは数え切れない。

つくづく人生は順送りと思う。子どもの頃、オフクロが縫い針に糸を通せない。

「ヒサオ、通して頂戴」

優しかった私はその都度、ハリを通してやったが、心の中ではなんでこんなことができないのか?と思っていた。

 

ハリスを通すとき、ときどきオフクロのことを思い出す。

アイが見えない。ハリスの先端はどこにあるんだ? 両目だとアイがだぶって見える。片目をつむり、明るい空に向けたりしてなんとか。ふぅ....

魚の活性があるときは気がせく。ハリスを持つ指が震える。きっとオフクロもこうだったんだろうな。

 

70歳まで教授を務め、その後2年間、客員教授をして、1年間非常勤をして73歳で完全退職した。

忙しい日々を過ごしていた。仕事は忙しい人に頼め。次から次に仕事が舞い込む。

当然、先送りができないので、今日できるなら今日中にするようになる。

学生にもそれを求める。

ナニ! 課題ができていない。バカモノ。

ゼミ室には

今日できることは明日に延ばすな。賢人は昨日済ませているのだをぜミ訓として張り出していた。

賢人をケントとふり仮名をふったヤツがいて、なかなかやるな。

 

今はあの忙しい仕事がなくなった毎日。テンカラをはじめ釣りにいく日のほか、ふと今日はなにしようと思うことがある。

やることがないのだ。

そこで明日のために今日できることは残すようにした。

『今日できることは今日するな、明日することがなくなる』

仕事に追われテンカラに行きたくても行けず悶々としている人へ。退職するとはこういうこと。

それゆえ、たくさんの趣味といい人間関係を築いておくことが退職したあとに大事になるのです。

さて、今日、なにしよう。