本棚の隅にテンカラ倶楽部No.3があるのを見つけた。
2002年の発刊である。
改めて読みなおしてみて筆者の多さと、内容の多彩さに驚く。
さらに故人となられた冨士弘道さん、堀江渓愚さんの存命な頃の写真をみて、ふたりの記事を読むにつけ、このような雑誌があってよかったとつくづく思う。
遠山川のテン場でキツネに餌をやる瀬畑さんのなつかしい写真もある。
テンカラ倶楽部はたしかNo.4まで発刊されたと記憶している。
若い人にはテンカラ倶楽部という雑誌があったことは知らないと思う。
当時はテンカラが次第に知られて来た頃で、ネットが出る前のまだまだ紙媒体に勢いがある頃だった。
そんな勢いでテンカラ専門誌を出すことになった。しかし、まだまだテンカラ人口が少なく、結果的に継続的な購入に繋がらず4巻で廃刊になってしまった。
この雑誌は廣済堂出版からである。
発刊前の1992年、廣済堂から拙書『科学する毛バリ釣り』を出した。その後、廣済堂からテンカラ専門誌を出したいと打診があった。
それは素晴らしい。ただ、廣済堂では誰に記事を書いもらえばいいかわからないとのこと。
そこで私の方から10名ほどの人の名前とその人にどのような記事を書いてもらえばいいかを伝え、第1号の発刊に繋がった。
手元にNo.3しかないのが残念である。それまで書いてきた雑誌は膨大になり、書棚を占拠するようになったので、いつの頃だったか大量に処分した。
そのときテンカラ倶楽部でかろうじて残ったのがNo.3だった。
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